2014/02/08

「白暮のクロニクル 1巻」ゆうきまさみ

白暮のクロニクル 1 (ビッグ コミックス)
ゆうき まさみ
小学館 (2014-01-30)

ゆうきまさみの新作は吸血鬼探偵物。「息長(オキナガ)」と呼ばれる不老不死の人間?が存在する世界を舞台に、12年に一度、未年になると若い女性の内蔵を抜き取り殺害する「ひつじ年の殺人者」の謎を、オキナガの見た目少年、実年齢88歳の安楽椅子探偵雪村魁と、厚生労働省でオキナガを担当する「夜間衛生管理課」の新人伏木あかりの凸凹コンビが追うという物語のようだが、例によって警察や厚生労働省という巨大組織の中に渦巻く大きな陰謀と権謀術数の匂いがプンプンとする展開。帯の惹句にある作者本人のコメントからすると「新境地」らしいけれど、読んでる側からすると見た目は変わってもやってることはいつもと同じ。さえない感じの主人公たちが延々と脱力系の会話をしてる中で、巨大な陰謀が進行するというパターン。でも、それがゆうきまさみの真骨頂であり最大の魅力なのだからそれはそれで全然構わない。

1巻では「オキナガ」を狙った連続殺人事件がコトの発端として描かれるのだが、犯人解明は割りとあっさりで、やはりミステリをやるのではなくサスペンス主体の展開で行くのだろうか。しかし、主人公でワトソン役になる伏木あかりはいろいろ出自にひつじ殺し事件との因縁がありそうな感じではあるが、キャッチーな要素というと背が高いことと眉毛太いぐらいで、「バーディー」の千川つとむ以上に華のない主人公だなぁ。

2014/02/07

「ヒル 5巻」今井 大輔

ヒル  5 (BUNCH COMICS)
ヒル 5 (BUNCH COMICS)
posted with amazlet at 14.02.07
今井 大輔
新潮社 (2013-10-09)

他人の留守宅に侵入し居住者に気づかれないように寄生して生活する「ヒル」の物語。これにて完結。

巧くまとめたなという感じではあるけれど、せっかくの「ヒル」というアイデアをモラトリアムな少女と少年が成長する話+バイオレンスという些かありがちな物語に落としこんでしまったのはちょっと残念な気がする。個人的には様々な「ヒル」が登場する連作短編のようなスタイルの方が、この「ヒル」という秀逸なアイデアを巧く見せられたんじゃないかと思った。まぁ、それは個人的な願望だとしても、この作品には寄生する側である「ヒル」側の視点ばかりで、寄生される側である居住者の視点がほとんど皆無なのは勿体無い。物語がそうそうにヒル社会内での抗争主体になってしまったため、他の視点を入れる余地が無くなったということかもしれないけれど、そういう外部の視点をもっと入れることで、社会に寄生して生きるヒルという人種の持つ社会的な問題提起がいろいろ見えてきたんじゃないかと思う。そういう外部の視点がないので「いろいろありましたけど大人になりました」的な非常に個人的な物語で終わってしまってるんだな。それが悪いという訳ではないけど、やっぱり折角のアイデアなのに勿体ないなぁと思ってしまう。

2014/02/05

「SHORT PEACE」 2013

SHORT PEACE スペシャルエディション [Blu-ray]
バンダイビジュアル (2014-01-16)
売り上げランキング: 1,324

2013年に公開された日本のアニメーション作品。

大友克洋「火要鎮」、森田修平「九十九」、安藤裕章「GAMBO」、カトキハジメ「武器よさらば」の短編アニメーション4本に、森本晃司によるオープニング映像を付したオムニバス作品。

「オープニング」森本晃司

元「STUDIO 4℃」所属で「音響生命体ノイズマン」や「彼女の想いで MAGNETIC ROSE」などで知られる森本晃司のオープニングは「不思議の国のアリス」をモチーフにしたイメージ映像で、いかにも森本晃司といった感じ。

「火要鎮」大友克洋

記憶が定かではないけど大友克洋の同名の短編作品があって一応それが原作ということになるんだろうか?親の決めた結婚を前に火消しに憧れる隣の家の息子への想いを断ち切れない娘が火事を起こすという話。

主人公の娘を描く前半は絵巻(オープニングはそのまんま絵巻だ)などによく見られる斜め上からの遠近法を用いない鳥観アングルを多用したり、人物の描写も美人画を思わせるものだったり日本画を強く意識した画面づくりが独特の雰囲気を作り上げている。着物の表現とか地味な展開だけど映像的には目を見張るものがある。後半は一転して大火事とそれに対処する火消しの活躍を描くスペクタクル。映像表現はこちらも素晴らしく江戸の町中を逃げ惑う町民を掻き分けてて進む火消したちのモブシーンとか圧倒されるが、それ以外に、きちんと取材したという江戸時代の火消したちの仕事ぶりがなんとも興味深い。

「九十九」森田修平

森田修平は短編アニメーション作品「KAKURENBO」を作った人。突然の豪雨で山中で見つけた祠に逃げ込んだ男が付喪神に会うという典型的な怪談話。

他の作品とは異なり全編フルCGで作成されており、個人的にはそのCG臭?がどうにも気になった。なんか「ドラクエ8」っぽいというか、アニメーション映画を見ているというより、ゲームの画面を見ているような気がしてしまった。

ストーリー原案と付喪神などのデザインに造形作家の岸啓介が参加してる。

「GAMBO」安藤裕章

安藤裕章は大友克洋の「MEMORIES」や「STEAM BOY」でCGIを担当していた人とのこと。原案・脚本は「鮫肌男と桃尻女」や「茶の味」の石井克人、キャラクターデザインは「エヴァ」の貞本義行。

突如やってきて村を蹂躙する鬼(宇宙人であることが暗示されている)と、人身御供にされる少女の頼みを聞いた白いヒグマとの壮絶なバトルを描いたもの。物語性を極力廃し、ひたすら鬼とクマの格闘を描くというスタイルで、四作の中では一番好き嫌いが分かれそうな作品。個人的には一番好き。鬼の圧倒的な暴力性の描写が素晴らしい。筒井康隆の短編「死にかた」に出てくる鬼はきっとこんな感じだったんじゃないかと思った。

「武器よさらば」

ガンダムなどのメカニックデザインで知られるカトキハジメの初監督作品で良いのかな? 原作は大友克洋の同名短編。他3作が過去の日本を舞台にした作品なのに対して、本作だけは近未来の荒廃した日本が舞台のSF戦争ものでかなり浮いている印象。物語展開はほぼ原作に忠実ながら登場するプロテクタースーツや無人戦車などのデザインは現代的にリファイン(ここらへんはカトキハジメの真骨頂)、映像表現も今どきの戦争映画風。プロテクタースーツvs無人戦車の戦闘は文句なしに格好良い、流石に良く心得ているという感じ。ただ洗練されすぎて、原作どおりのあのオチがちょっと浮いてる感じがしないでもない。

キャラクターデザインはCANNABISこと田中達之。

2014/02/04

青空読書 11 「三角と四角」巖谷小波

青空文庫「三角と四角」巖谷小波

明治から大正期にかけての児童文学作家、巖谷小波が博文館の雑誌「幼年雑誌」1894年10月号に発表した童話。

幼児に向けて幾何学の学習を目的にした童話だが、登場人物が皆文房具という筒井康隆の「虚航船団」を思い出させる内容(もちろん本作の方が発表時期はうんと早いが)。尖った角を持つことが自慢の三角定規が、自分より角が一つ多い画板に嫉妬し、ついには画板の四隅の角を切り落としてしまうが、そこには意外なというか幾何学的には至極まっとうなオチが待っているというお話。今となっては古めかしい語り口のリズムが楽しい。ラスト「とうとう兜かぶとを脱いで降参しましたとわ、身のほど知らぬ大白痴おおたわけ。」というスパーンと切ったような感じも良い。

2014/01/28

Call of Duty GHOSTS (PS3)

コール オブ デューティ ゴースト [字幕版]
スクウェア・エニックス (2013-11-14)
売り上げランキング: 49

「Call of Duty」シリーズの新作「GHOSTS」を遅まきながら中古で購入。2日かけてシングルキャンペーンをクリアした。

今回特に事前に情報を得ずにプレイしたのだが、タイトルからして「COD MW2」に登場したGHOSTことサイモン・ライリーが主人公のスピンオフ作品だと思い込んでいたので、骸骨模様のバラクラバこそ登場するものの内容的にはまったく関係ない物語だったのにちょっとがっかりした。

物語は近未来、南米諸国が集まった連邦とアメリカとの全面戦争を描いたもので、そこに米軍の特殊部隊であるゴーストと、元ゴーストの隊員で過去の作戦で味方に見捨てられ連邦の捕虜になった末、拷問と洗脳で連邦軍に転向した男ロークとの因縁の対決が絡んでくるというもの。脚本にソダーバーグの映画「トラフィック」の脚本家であるスティーヴン・ギャガンを起用したにもかかわらず、世界設定や物語の展開、登場人物のキャラクがー造形はかなりお粗末な感じ。「COD」シリーズのキャンペーンシナリオの出来が特に良いとは思わないけれど、その中でも今回の「GHOSTS」は杜撰で魅力に欠ける印象が強い。また各ステージもどこかで見たことのあるようなマップばかり。今回、工夫してるなと感じられたのは回想エピソードの洪水シーンぐらいで、「COD MW」シリーズを手がけたInfinity Wardの作とは思えないがっかり感。それなりに期待していただけに残念。

2014/01/27

「かくかくしかじか 3巻」東村アキコ

東村アキコの自伝マンガの第3巻。

あっという間に金沢の美大での大学生活が終わって、無職からテレフォンオペレーターへ。もっと大学生活いろいろあるだろうにと思わないでもないが、絵画教室の先生への現代目線からの良い話風の語りかけを繰り返すというギャグ(?)がフォーマットなので、先生が登場しずらい大学生活は端折らざる得ないというとこなのだろうか? おそらく最終回まで明かされないであろう、先生が今現在すでに故人なのか健在なのか問題は、ここまで引っ張ってんだから健在でないと漫画にならないと思うので、健在なのだろうと思う。

今回、絵画教室の後輩生徒として「モーニング」で「ZUCCA×ZUCA」を連載中のはるな檸檬が登場してちょっと吃驚。元東村アキコのアシスタントだったそう。絵柄がまったく異なるので想像だにしなかった。(話は違うが「想像だに」の「だに」って何だろう? いつも気になる)

2014/01/24

青空読書 10 「吉原百人斬」正岡容

青空文庫「吉原百人斬」正岡容

昭和初期から中期にかけて活動した作家、落語・寄席研究家である正岡容が書いた、講談師、神田伯龍の追悼エッセイ。初出は雑誌「あまとりあ」1951年4月号。

死んだ神田伯龍が得意とした講談「吉原百人斬」を再現を交えながらその魅力について語っているのだが、小説仕立の再現部分とそれを評する正岡容の語りが錯綜する感じはメタフィクションのようで面白い。

最初、タイトルを見て「吉原」で「百人斬」だから吉原の遊女を百人相手にした男の話かと思ったらそうではなかった。歌舞伎にもなっている有名な講談で佐野次郎左衛門という男が遊女八ツ橋との恋のもつれから、八ツ橋その他大勢を惨殺したという実話に基づいた話。

追悼されている神田伯龍は五代目で、江戸川乱歩の明智小五郎のモデルとしても知られている人物。

2014/01/23

「四月は君の嘘 8巻」新川直司

前巻で物語の大きな柱であった主人公である公生のピアニストとしての復活は成した訳で、残りは主人公たちの四角関係にどう決着をつけるのかという点とヒロインのかをりがいつ死ぬのか?あるいは死なないのかという二点の絞られ、椿は公生への想いを自覚する一方、かをりは着実に死亡フラグを立てまくり死ぬ気満々、亮太は限りなく影が薄くなるという感じで、そろそろクライマックスかと思いきや、ここにきて相座武士の妹が新キャラとして登場。いろいろ場をかき乱しそうなキャラで露骨な延命措置に売ってでたという感じだけれど、それが吉と出るか凶と出るか。今のところは様子見といった感じかなぁ。

2014/01/21

「月光条例 26巻」藤田和日郎

月光条例 26 (少年サンデーコミックス)
藤田 和日郎
小学館 (2014-01-17)

夜明けまで時間を稼ごうとする月光だが絶対絶命のピンチに。共に戦うことを決意した鉢かづき姫の登場で窮地を脱するが、鉢かづき姫が飛んできた経路からお伽話の住人が北極に隠れていることが発覚、月の客の軍勢は北極へ。演劇部たちもお伽話の住人を守ろうと立ち上がるが…という展開。

いろいろ迷走した感の強い「月光条例」だけれどクライマックスを迎えてのこの展開はやはり熱いものがある。藤田和日郎の本領発揮というところ。まぁ、今回のボスキャラは白面の者やフェイスレスに比べて小物感が漂うのはちと残念な部分ではあるけれど。

2014/01/20

「マギ 20巻」大高忍

マギ 20 (少年サンデーコミックス)
大高 忍
小学館 (2014-01-17)

マグノシュタット編が完結。

物語的にはまったく文句なく面白さを持続していると思うが、漫画としてはほぼ全編を占める戦闘シーンの表現がちょっと残念な感じ。登場人物が多数現れての戦闘になるのだが魔装状態だとパッと見のキャラの判別がしづらく、また決め技の極大魔法の表現も似たり寄ったりのものが繰り返されるので単調に感じる。また、巨大な敵との戦闘になるのだが、主人公側が空を飛んでいる状態で戦う場面が多いせいもあって、俯瞰だったり引きの構図が多く、巨大感が感じられず迫力にも欠ける印象を受けてしまう。今後の展開からも大きな戦闘シーンは欠くことができないだろうから、作者には戦闘シーンの描き方にはもうちょっと頑張ってもらいたい。

ところでマグノシュタットの学園長の最後のセリフの後でシンドバッドの顔が出てくるのはやはりラスボスはシンドバッドということなんだろうか?シンドバッドの場合、アルサーメン側に転ぶというより、シンドバッドの正義とアリババ&アラジンの正義との対立ということになりそうだが。

百均の腕時計

普段、腕時計をつける習慣はないのだが、土日の警備員のバイト時は携帯電話で時刻を確認することができない(規則で就業中の携帯電話の所持を禁じられている)ので、百均で買ってきた腕時計をつけている。その腕時計だが何時頃からか時間が一分ほど遅れるようになった。時間を訂正しようと時計をよく見ると何処にも時刻を訂正するためのボタンのようなものがない。正面下の白い楕円部分がボタンだと思っていたのだが実は単なる飾りだった。どうやらこの時計には時刻を訂正する機能がないらしい。もちろんオレンジ色のベルトと一体になった筐体を無理やり外して中の部品を取り出せば時刻の変更は可能だと思うが、元に戻せるかどうか不明だし面倒なのでやっていない。他にもこの時計は電池の交換も普通ではできないようになっていて、工場出荷時から毎秒消費しいく電池の残量が切れたら商品の寿命はお終いである。長らく店晒しになった商品は買ってから使用できる期間がその分短くなるということになる。時刻の訂正ができないことといい、異常に潔い商品コンセプトにちょっと感心した。

ちなみに使用している百均の腕時計はこれが二代目で、最初に買ったものはちゃんと時刻の訂正もできたし、電池の交換にも対応していた。しかし、使い始めて二月ほどしたら(土日しか着用していないにもかかわらず)ベルト部分の樹脂が弱くなってちぎれてしまった。

2014/01/18

「青い鱗と砂の街 1巻」小森羊仔

「シリウスと繭」の小森羊仔の新作。

父と二人、海辺の街にある母の実家へ引っ越してきた少女時子。彼女は幼いころこの海で人魚の少年に助けられた記憶があって…… という話。

1巻の時点では引っ越したばかり主人公の日常描写がメインではあるものの、失踪中の母や、主人公が海で出会った少年、鳴海くんの海に消えた兄など、長閑さの中にも、この先の物語展開に大きく関わってきそうな不穏な気配もあって、この物語が帯の惹句にある「海辺の街での少女の成長期」であるとすれば、それは相当苦い経験を伴うものなのではないかと予感させる。

細い描線で単純化された人物と、比較的緻密に書き込まれた背景、多用されるインサートカットが印象的で、かなりゆっくりとしたテンポで進行していくのが気持ち良い。コマ割りはけっこう複雑だけど、だからといって読みにくいという感じはない。前作「シリウスと繭」は雑誌でしか読んでなかったのであまり注意深く読んではなかったのだけれど、今回単行本でちゃんと読んでみて巧い作家であることを確信した。これが長編2作目なのだから驚く。最近、単純に絵が上手い下手とかではなく、漫画としての表現が巧みな漫画家がたくさん出てきてすごい時代になったもんだなと思う。

僕の観測範囲が狭いだけなのかもしれないが、小森羊仔はもっと話題になっても良い漫画家だと思う。

2014/01/17

青空読書 09 「婦人雑誌と猫」山本宣治

青空文庫:「婦人雑誌と猫」山本宣治

戦前の政治家「山宣」こと山本宣治のエッセイ。初出は不明。産児制限や性教育に関する活動で知られ、「自慰」という言葉を広めたのも山本宣治。

内容はイギリスの性科学者、著書「性の心理」で知られるハヴェロック・エリス(Havelock Ellis)の著書「随想録」の記述を元ネタに当時の日本の世相を語るというもの。戦前の話ではあるが語られている内容は現代でも通じるものがある。語られている内容は軽佻浮薄な女性誌から女性と社会の関わりについて、猫が引き起こした停電事件から発達したシステムの脆弱性がもたらす危機についての2つ。

エリスのいう

今や人の家は彼の城郭でない、あらゆる低能児、あらゆる無茶者が彼の死命を左右する。一寸触れゝばすぐ歯車を外せる様な華奢な仕掛のからくりで、彼の生活が調節されて居るのだ。文明ほどこはれ易いものは外に又とない。如何に高度の文明でも、それが面して居る多種多様の危険に対して、終り迄頑張り続けた例は無い。今日腕白小僧の様な大人は誰でも、社会に対して『俺のほしがつて居る飴ん棒をくれ、くれなけれやお前の生活が辛抱出来ぬ程ひどい目にあはしてやるから』といふ事が出来る、して又其いふ通り暫くは其腕白の為に、我々の人生が耐へ難いものにされるのだ

などはまったく現代の日本の状況そのままという気がしないでもない。


Wikipedia : 山本宣治 / ハヴロック・エリス

2014/01/16

Study of English : John Willie - Editors : 11

As we were throughly delighted with what we saw we think it an idle waste of time to question, argue the toss, or debate as to whether or not the ladies and gentlemen appeared as they did for the question "Do woman dress to please men or merely for their own amusement?"

昨日の続きから。

昨日、「argue the toss, or debate as to 〜」は「(argue the toss, or debate) as to 〜」という解釈で良いのかな? などと書いたけど、冷静に考えるとカンマがあるので、「(〜 to question),(argue the toss), (or debate as to 〜)」と解釈するのが妥当かな。

となると、「we were throughly delighted」の理由として、「what we saw we think it an idle waste of time to question」と「argue the toss」と「or debate as to whether or not the ladies and gentlemen appeared as they did for the question "Do woman dress to please men or merely for their own amusement?"」の3つあるということか。

昨日とばした「what we saw we think it an idle waste of time to question」の部分。冒頭の「what」は疑問文ではなく強調の意味だろう。続く「we saw we think it」は「we saw we think」と2つ続けるのは何かのイディオムだったりすだろうか?辞書を引いても載っていない。そのまま読んで「私たちはそれを見て考えた」ということで良いんだろうか?「waste of time」は「無駄な時間」とか「暇つぶし」、「idle」も似たような意味だな。「to question」は末尾の二重引用符で括られた部分を指していると考えて良いのかな?

とりあえず全部つなげてみると、「だから、私たちは、"女性は男性を喜ばすために装うのか、それとも単に自分の楽しみのためか?"という疑問について暇な時間に考えてみたり、くどくど議論したり、その疑問のために皆さんが現れたりしたのかどうか討論することで、心底楽しんだ。」という感じになるんだろうか? やはり「the ladies and gentlemen appeared as they did for the question」の部分が意味不明だなぁ。

「タケヲちゃん物怪録 6巻」とよ田みのる

とよ田みのる版「稲生物怪録」の第6巻。前半は前巻で登場した吸血鬼オルロック率いる西洋妖怪チームとのドタバタ。後半はついに宿敵である神野悪六郎が登場、さらに源頼光の末裔らしき少年も出てきてクライマックスの始まりを予感させる展開。頼光が出てきたということは、すでに登場している坂田公時以外の四天王、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光ら3人の末裔の登場も期待できるかな。

お話以外の部分では、ベタなツンデレぶりが良い感じの滝夜叉姫と細かいところで存在感を発揮してる坂田鉄の二人が目立って、本来のヒーローであるはずの六ちゃんが影の薄いツッコミキャラ化しつつあるのが哀れ。次巻では是非もうちっと活躍させてあげてほしいところ。

2014/01/15

Study of English : John Willie - Editors : 10

As we were throughly delighted with what we saw we think it an idle waste of time to question, argue the toss, or debate as to whether or not the ladies and gentlemen appeared as they did for the question "Do woman dress to please men or merely for their own amusement?"

ようやく最後の文に辿り着いた。

とりあえず判らない単語の意味を調べていく。「throughly」は「徹底的に」とか「まったく」という意味、「delighted」は「喜び」とか「嬉しい」、「waste of time to question」は「waste」が「浪費」とか「無駄」という意味なので「質問は時間の無駄」ということ。「idle」も「無駄」という意味。「argue the toss」は「くどくど議論する」、「whether or not 〜」は「〜かどうか」というイディオム。

文頭の「As」はひとまず置いておいて、「we were throughly delighted」は「私たちは徹底的に喜んだ」続く「with 〜」がその理由の説明だろう。

「what we saw we think it an idle waste of time to question」はちょっとややこしいので飛ばして、後半の部分から見ていく。

「argue the toss, or debate as to 〜」は「(argue the toss, or debate) as to 〜」という解釈で良いのかな? 「〜についてくどくど議論したり討論した」ということか。

で、「as to 〜」の「〜」部分だけど、「whether or not 〜」は「〜かどうか」という意味なので、続く「the ladies and gentlemen appeared as they did for the question "Do woman dress to please men or merely for their own amusement?"」の部分、「the ladies and gentlemen appeared as they did for the question」は「皆様は質問のために現れた」ということで良いんだろうか?「they did for the question」は直訳すると「彼らは質問のためにした」ということになるけれど、それだと意味がちょっと通じない。二重引用符で括られた「Do woman dress to please men or merely for their own amusement?」は簡単、「女性は男性を喜ばすために装うのか、それとも単に自分の楽しみのためか?」

時間が無くなったので、次回に続く。

2014/01/09

青空読書 08 「薬」魯迅 (井上紅梅訳)

「薬」魯迅

20世紀初頭の中国の作家、魯迅の「薬」を読んだ。読むのは今回初めてでなく過去に何回か読んでる作品。1919年に書かれた短編で、前半は病床の息子のために死刑囚の血を染み込ませた人血饅頭を買い求め与える老夫婦のエピソード、後半は老母が介護の甲斐なく死んだ息子の墓参りに行くと、死刑囚の墓に紅白の花が咲いているのを見つけるというエピソードの二部構成になっている。

人血饅頭は全近代的な価値観の象徴で、それを盲信する老夫婦は介護の甲斐なく結局、息子を失ってしまう。死刑囚は革命家で志半ばに倒れたその墓に花が咲くというのは判りやす過ぎ!と思わないでもないが、何故か花が咲いたり、最後に思わせぶりに登場する鴉とか、オカルト的要素が入り込んでくるのは、革命家もまた前近代的な価値観から脱しきれていないということなのか、あるいは革命家の墓の前で泣く母もまた前近代的な価値観の主であるということなのか?

ところで、この作品に登場する処刑された革命家のモデルとされるのが、秋瑾という清朝末期の女性革命家で、武田泰淳がこの人をモデルに「秋風秋雨人を愁殺す」という作品を書いているとのこと。気になる。

2014/01/08

青空読書 07「嫉妬する夫の手記」二葉亭四迷

青空文庫:「嫉妬する夫の手記」二葉亭四迷

二葉亭四迷は言わずと知れた「浮雲」で知られる明治時代の小説家、翻訳家で、坪内逍遥とともに日本の近代小説の父ともいえる人物。「嫉妬する夫の手記」は青空文庫には初出の記載がなく詳細は不明。日記風の体裁で自宅に居候している友人Oと妻との不貞を勘ぐり嫉妬する男の心情を綴った内容。小説なのか実際の日記なのかは文面からは何とも判断が付かない。青空文庫の底本は「日本の名随筆」となっており、とすると小説ではなく、書かれている内容は事実なのか?

amazonの kindleストアの解説によると、原本は明治39年か40年ぐらに書かれたであろう露文の手記とされるが、だとすれば誰かが翻訳したことになるが、訳者の記載もない。底本にも記載がないのか、青空文庫の怠慢か。

なりたちも何だかはっきりしないが、書かれている内容も結局のところ妻が友人Oと不貞を働いていたのかははっきりせず、ただ語り手の男が妻の不貞を疑い悶々とするというだけなので、読んでいるこちらとしてもなんだかもやもやした気分がはれないままである。

Study of English : John Willie - Editors : 09

After much deliberation and much research conducted from the front row stalls in dozen different theaters, and convenient tables at some suitable cabarets, the entire staff have come to the unanimous conclusion that our education has been sadly misdirected, and that it was a fairy godmother wrapped up in that serpent's skin and not Old Nick in person.

ぼさぼさしているうちに年が明けてしまった。とりあえず昨年の続き、5つ目の文から後半部分「the entire staff have come to the unanimous conclusion that our education has been sadly misdirected, and that it was a fairy godmother wrapped up in that serpent's skin and not Old Nick in person.」を読んでいく。

「entire」は「全体の」「すべての」という形容詞、「have come to 〜」は「〜するようになる」というイディオム、「unanimous」は「満場一致の」という形容詞、「conclusion」は「決定」とか「判定」という意味の名刺。続く「that」は関係代名詞で、「our education has been sadly misdirected」が先行詞「the unanimous conclusion」の修飾となる。

our education has been sadly misdirected」の「has been 〜」は現在完了形(30年前に習った筈だがもう記憶が曖昧だ)で「〜たことがある」、「misdirected」は「誤った方向にすすめる」という動詞なので繋げると「私達の教育は悲しくも誤った指導をされていた」といったとこか?

とりあえず、今までの部分を繋げると「すべてのスタッフが私達の教育は悲しくも誤った指導をされていたと満場一致の判定を下すようになった。」といった感じか。

さて、次。「and that it was a fairy godmother wrapped up in that serpent's skin and not Old Nick in person.

「and that」は前の文を受けて「しかも」という意味。

「a fairy godmother wrapped up in that serpent's skin」は直訳だと「蛇の皮を着込んだ天の助けを授ける女」という意味。「fairy godmother」は西洋の昔話や妖精譚に登場する主人公が困ったときに助けてくれる女性のこと。有名なところでは「シンデレラ」に登場する魔法使いのおばさんが「fairy godmother」なのだそうだ。「天の助けを授ける女」という訳語は何なので、訳すとすると、ざっくり「良い魔法使い」とかそんな感じで良いのだろうか?「serpent」は「蛇」、「wrapped up」は「着込む」の意味。

続く「Old Nick in person」の「Old Nick」は「悪魔」のこと。「in person」は「本人」なので「Old Nick in person」は「悪魔自身」となる。

つなげてみると「すべてのスタッフが私達の教育は悲しくも誤った指導をされていたと満場一致の判定を下すようになった。しかも、それは蛇の皮を着た良い魔法使いで悪魔ではないのだ。」となる。うーん、これも判ったような判らんような…。

次回、残り一つの文を読んでみた後、すべての文をつなげて今までの読み方の妥当性を考えてみることにしょう。